最上川中流土地改良区PR動画
「土地改良区」とは
土地改良区は、土地改良法により、一定の地区内で土地改良事業を行うことを目的として設立される法人で、受益農家の3分の2以上の同意を得て設立されます。設立及び解散は都道府県知事の認可が必要です。土地改良法第3条に規定する事業参加資格者は、加入が強制されています。
事業に必要な費用は、定款の規定により組合員に課される賦課金のほか、国・県・市町村から補助を受けています。組合員の方々から出して頂く賦課金の単価は、一年間に必要な費用を受益面積で割って出します。滞納者には地方税の滞納処分の例により、強制的に徴収することができます。
土地改良区の性格から、法人税、所得税、登録免許税、不動産取得税、固定資産税事業税等について非課税扱いされています。
平成14年度から、土地改良区の愛称が「水土里ネット」となりました。
最上川中流土地改良区の沿革
写真上: 事務所外観
下: 丹野茂治像
整備竣工記念碑
下: 丹野茂治像
整備竣工記念碑
山形盆地は、灌漑用水としては利用できない酸性河川「須川」によってほぼ二分されています。
須川の東側の地域は、奥羽山脈より流れ出る河川を利用してきましたが、土地の傾斜が急なために雨水が保水されずに流出してしまいます。また、西側の地域は、小河川しかないために流量不足に悩まされていました。
このため、山形盆地の人々は江戸時代より最上川の水を導水する運動を繰り返してきましたが、実現には至りませんでした。
昭和33年、60年ぶりの大干ばつを契機に、最上川の水の導水実現へようやく歩みはじめました。
この運動の進展のなかで、本土地改良区は山形市・東村山郡山辺町・上山市・天童市の3市1町の農地に最上川の水を導水する国営最上川中流農業水利事業の推進と、完成後の管理受託団体として設立が進められ、昭和44年に認可されました。
昭和61年に上記国営事業が完工し、平成元年度に国営に附帯した県営かんぱい事業が完工した後、本土地改良区の事業は維持管理を主体にして推進されています。
事業と施設の概要については、「施設紹介」をご覧ください。
合併の歴史
最上川中流土地改良区が昭和44年9月9日に設立されて以降、周辺の土地改良区との合併を繰り返し、現在のすがたになりました。
組織図
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